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高千穂さんのご縁です。

高千穂さんのご縁です。

著者: RKKラジオ
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このコンテンツについて

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。

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★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4 AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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スピリチュアリティ
エピソード
  • 【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ること
    2025/05/28
    🔶 共命鳥とは?阿弥陀経に登場する不思議な鳥今週のテーマは「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」です。高千穂さん:「共命鳥は、『仏説阿弥陀経』に登場する極楽浄土に住む美しい鳥のひとつです」“共命”とは「命をともにする」という意味。この鳥は体は一つ、頭が二つ。それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。仏教では、この鳥を通じて人間の「煩悩(ぼんのう)」や「自己中心的な心」のはかなさを説いています。🔶 提婆達多(だいばだった)と共命鳥の物語ある日、弟子が釈尊(お釈迦さま)にこう尋ねます。「仏法を聞いていたはずの提婆達多は、なぜ釈尊に深い恨みを抱いたのですか」この問いに対し、お釈迦さまは共命鳥のたとえ話をもって答えられました。🔶 二つの頭と一つの命:破滅へ向かう心昔、雪山のふもとに共命鳥が住んでいました。一つの体に、カルダとウバカルダという二つの頭がついており、それぞれに独立した意識を持っていました。ある日、カルダがウバカルダに黙って「摩頭迦という果樹の実」を食べてしまいます。これは非常に良い香りと功徳を持つ果実だったため、ウバカルダはひどく怒りました。そしてあるとき、ウバカルダは毒の花を見つけます。「この毒を食べれば、カルダを苦しめることができる」と考え、眠っているカルダに黙って自ら毒の花を食べてしまいました。その結果――共命鳥は、体ごと死んでしまったのです🔶 お釈迦さまが語った深い意味死の間際、カルダはウバカルダにこう語ります。「私は良かれと思って花を食べた。だが、あなたは怒りにかられて毒を口にした。その結果、私たちはともに命を落とした。怒りや憎しみに利はなく、それは自らを、そして他者をも破滅させる」お釈迦さまはこう締めくくられました。「カルダは私・釈尊でありウバカルダは提婆達多である」🔶 共命鳥が教えてくれること高千穂さん:「共命鳥は、“自他は分けられるものではない”という教えを体現した存在です」現代に置き換えるなら――家庭や職場で、良かれと思ってしたことが誤解される自分の不満が、誰かへの攻撃になり、結局自分にも返ってくる私たちの中にも、“ウバカルダ”のような怒りや嫉妬の心が生まれることがあります。丸井:「他人を責めたつもりが、自分自身をも傷つけていた――思い当たるふしがあります」🔶 まとめ:一つの命をどう生きるか今週は「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」をテーマにお届けしました。高千穂さん:「共命鳥の物語は、他者と命をともにするという在り方を、優しく、そして厳しく伝えてくれています。自己中心的な怒りや執着が、やがて自分自身をも苦しめるということ。仏教が説く“縁起”や“慈悲”の心を、物語を通じて学ぶことができます」人との関係に悩んだとき、心の中の“ウバカルダ”と向き合うヒントになるかもしれません。🔶 次回予告:「仏教と蓮の花」次回は「仏教と蓮の花」をテーマにお届けします。泥の中から美しく咲く蓮の花は、なぜ仏教で大切にされているのか――その象徴的な意味に迫ります。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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    9 分
  • 【親鸞聖人の誕生日・降誕会】のお話。 親鸞聖人は結婚もし魚も食べ90歳まで生きた。
    2025/05/21
    🔶 今日は親鸞聖人のお誕生日高千穂さん:「本日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日“降誕会(ごうたんえ)”です。旧暦でいうと4月1日、この日に親鸞聖人がお生まれになりました」親鸞聖人は1173年、平安時代の末期に京都でお生まれになりました。当時の日本は源平の争い、天災や疫病、大火や飢饉などが相次ぐ混乱の時代でした。🔶 9歳で出家、比叡山での修行の日々親鸞聖人は9歳で天台宗の僧・慈円(じえん)のもとで出家され、比叡山延暦寺に入山。その後20年にわたり、厳しい修行と学問に励まれます。高千穂さん:「比叡山は寒く、自然環境も厳しい場所です。そんな中で“今生きているまま仏となる”道を求め続けたのです」しかし、どれだけ修行しても煩悩を断ち切ることができない――そのことに悩まされ続けたといいます。🔶 六角堂の籠もりと夢のお告げ29歳のとき、修行に限界を感じた親鸞聖人は比叡山を下り、京都・六角堂で100日間の籠もりに入ります。その95日目の夜、夢に救世観音(くぜかんのん)が現れ、法然上人のもとへ行くようにと告げたと伝えられています。高千穂さん:「夢のお告げに導かれ、親鸞聖人は法然上人のもとへ通い、門弟となられました」この出会いこそが、のちの親鸞聖人の教えの出発点となったのです。🔶 流罪と“非僧非俗”の道しかし、その後ある事件が起こります。後鳥羽上皇の女官が無断で出家したことで、法然門下の念仏集団が弾圧されます。親鸞聖人は越後(現在の新潟)へ流罪となり、僧籍も剥奪されます。高千穂さん:「そのときから親鸞聖人は自らを“非僧非俗(ひそうひぞく)”と称されます。僧でも俗人でもない、ただ念仏を称える者として生きられたのです」流罪の地・越後では、結婚され、魚などを食べる「肉食妻帯」の生活もされながら、民衆と共に念仏の教えを広めていきました。🔶 関東へ、そして晩年の京都へ越後から関東へ、そして再び京都へ戻られた親鸞聖人。90年という当時では考えられないほど長い生涯を、念仏を伝え続けることに捧げられました。🔶 ロマンあふれる“発見”と親鸞聖人の実在意外なことに、大正時代までは親鸞聖人は架空の人物だと思われていたそうです。それが一変したのが、大正10年に西本願寺で発見された“真偽消息(しんにしょうそく)”という手紙でした。この手紙は、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)から娘へ宛てたもので、親鸞聖人の実像が詳細に記されていました。この発見により、親鸞聖人が実在した人物であることが初めて広く知られるようになったのです。🔶 まとめ:親鸞聖人が私たちに残したもの今週は「親鸞聖人のご誕生と生涯」についてお話を伺いました。高千穂さん:「親鸞聖人は90年の生涯を通じて、念仏の教えを実践し広め続けられました。流罪や弾圧という苦難の中でも、“すべては阿弥陀仏のおはたらき”と受け止め、生き抜かれた姿があります。私たちが今、念仏に出会い、救いを感じられるのも、親鸞聖人のご生涯があったからこそなんです」🔶 次回予告:「愚禿鈔(ぐとくしょう)」とは?来週は、親鸞聖人が遺されたお言葉の中から「愚禿鈔(ぐとくしょう)」をテーマにお届けします。“愚かなる禿(かぶろ)”と自らを名乗った親鸞聖人の真意に迫ります。お楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう
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    9 分
  • 【御朱印】のお話。 浄土真宗のお寺には御朱印が無い!?
    2025/05/14
    🔶 御朱印と浄土真宗:なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 御朱印ブームの現在最近、御朱印を集めるのが流行っています。テレビで芸能人が紹介したり、文房具店にはおしゃれな御朱印帳が並んでいたりして、目を引きますよね。しかし、意外に知られていないのが、浄土真宗のお寺には御朱印がないという事実。今回は、その理由と御朱印の歴史についてお話しします。🔶 御朱印のルーツとは?御朱印のはじまりは、お経を写してお寺に納めた証として印をいただくことにあります。特に「法華経」を納める際の受領印がその起源とされています。高千穂さん:「中世には“六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)”という人々が全国を巡って法華経を納めていました。その活動の証が御朱印だったんです」🔶 江戸時代の御朱印文化江戸時代には「御朱印帳」という冊子の形が普及し、参拝の証として御朱印を集める文化が広まりました。この背景には、当時の移動制限も関係していたといいます。高千穂さん:「江戸時代の人は簡単に他の藩に移動できなかったんです。でも“信仰のため”なら関所を通ることが許されていたので、神社仏閣への参拝は立派な旅行の理由になったんです」その参拝記録として御朱印帳は重宝されたのです。🔶 明治維新と御朱印の変化明治時代になると大きな社会変革が訪れます。「神仏分離令」によって神社とお寺は明確に分けられ、御朱印文化にも変化が生まれました。また、庶民が自由に移動できるようになり、信仰目的でなくても旅行が可能に。その結果、御朱印は「参拝記念」の性格が強くなっていきます。🔶 スタンプから御朱印ブームへ昭和初期になると「スタンプラリー」的な文化が浸透し、御朱印もまた「記念スタンプ」のように親しまれるようになります。高千穂さん:「近年の御朱印ブームも、平成後期から現在にかけて徐々に広まりました。特別なきっかけがあったというより、SNSなどで紹介される中で自然と人気が出てきた印象です」🔶 では、なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?仏教の多くの宗派では、写経や参拝を通じて“功徳”を積むことを重視します。御朱印は、その功徳の証として存在するものでした。高千穂さん:「しかし、浄土真宗は“自力で功徳を積む”教えではないんです。阿弥陀如来の救いの力にすべてをお任せし、念仏を申して生きる教えです」そのため、写経や御朱印という修行的な行為を行わないのが真宗の特徴でもあります。🔶 参拝記念スタンプはありますとはいえ、築地本願寺や西本願寺などでは“参拝記念スタンプ”を用意しているお寺もあります。高千穂さん:「御朱印ではありませんが、お参りの思い出として記念スタンプを押してもらうのは歓迎されています。気軽に受け取れるので、ぜひ旅の記念にどうぞ」🔶 まとめ:御朱印に込められた意味を知る今週は「御朱印と浄土真宗」についてお話を伺いました。高千穂さん:「御朱印はもともと写経を納めることで功徳を積む証として始まりました。それがやがて時代の変化とともに“参拝記念”の役割に変わり、文化として定着しました」しかし、浄土真宗の教えでは“阿弥陀仏のはたらき”によって救われるとされ、自力修行による功徳の蓄積を必要としません。高千穂さん:「だからこそ、真宗には御朱印がないんです。でも、参拝の喜びを形に残す“記念スタンプ”というかたちで、仏縁にふれることはできますよ」* 例外的対応ただし、近年では観光客への対応や文化的な側面として、一部の浄土真宗寺院で限定的に御朱印を授与しているところもあります。たとえば、「参拝記念」として日付入りの印を押すスタイルで、他宗派のような「納経」や「修行の証」としてではなく、あくまで記念印的な扱いで行われています。🔶 次回予告:「親鸞聖人の誕生日・降誕会」次回は、親鸞聖人の誕生日を祝う...
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