『【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ること』のカバーアート

【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ること

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🔶 共命鳥とは?阿弥陀経に登場する不思議な鳥今週のテーマは「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」です。高千穂さん:「共命鳥は、『仏説阿弥陀経』に登場する極楽浄土に住む美しい鳥のひとつです」“共命”とは「命をともにする」という意味。この鳥は体は一つ、頭が二つ。それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。仏教では、この鳥を通じて人間の「煩悩(ぼんのう)」や「自己中心的な心」のはかなさを説いています。🔶 提婆達多(だいばだった)と共命鳥の物語ある日、弟子が釈尊(お釈迦さま)にこう尋ねます。「仏法を聞いていたはずの提婆達多は、なぜ釈尊に深い恨みを抱いたのですか」この問いに対し、お釈迦さまは共命鳥のたとえ話をもって答えられました。🔶 二つの頭と一つの命:破滅へ向かう心昔、雪山のふもとに共命鳥が住んでいました。一つの体に、カルダとウバカルダという二つの頭がついており、それぞれに独立した意識を持っていました。ある日、カルダがウバカルダに黙って「摩頭迦という果樹の実」を食べてしまいます。これは非常に良い香りと功徳を持つ果実だったため、ウバカルダはひどく怒りました。そしてあるとき、ウバカルダは毒の花を見つけます。「この毒を食べれば、カルダを苦しめることができる」と考え、眠っているカルダに黙って自ら毒の花を食べてしまいました。その結果――共命鳥は、体ごと死んでしまったのです🔶 お釈迦さまが語った深い意味死の間際、カルダはウバカルダにこう語ります。「私は良かれと思って花を食べた。だが、あなたは怒りにかられて毒を口にした。その結果、私たちはともに命を落とした。怒りや憎しみに利はなく、それは自らを、そして他者をも破滅させる」お釈迦さまはこう締めくくられました。「カルダは私・釈尊でありウバカルダは提婆達多である」🔶 共命鳥が教えてくれること高千穂さん:「共命鳥は、“自他は分けられるものではない”という教えを体現した存在です」現代に置き換えるなら――家庭や職場で、良かれと思ってしたことが誤解される自分の不満が、誰かへの攻撃になり、結局自分にも返ってくる私たちの中にも、“ウバカルダ”のような怒りや嫉妬の心が生まれることがあります。丸井:「他人を責めたつもりが、自分自身をも傷つけていた――思い当たるふしがあります」🔶 まとめ:一つの命をどう生きるか今週は「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」をテーマにお届けしました。高千穂さん:「共命鳥の物語は、他者と命をともにするという在り方を、優しく、そして厳しく伝えてくれています。自己中心的な怒りや執着が、やがて自分自身をも苦しめるということ。仏教が説く“縁起”や“慈悲”の心を、物語を通じて学ぶことができます」人との関係に悩んだとき、心の中の“ウバカルダ”と向き合うヒントになるかもしれません。🔶 次回予告:「仏教と蓮の花」次回は「仏教と蓮の花」をテーマにお届けします。泥の中から美しく咲く蓮の花は、なぜ仏教で大切にされているのか――その象徴的な意味に迫ります。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。

【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ることに寄せられたリスナーの声

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