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サマリー
あらすじ・解説
名もなき者とフォークソング
語らずにはいられない。そんな気持ちになったのは久しぶりだった。その映画の名は『名もなき者』。ボブ・ディランの若き日を描いた伝記映画だ。主演はティモシー・シャラメ、監督はジェームズ・マンゴールド。彼の名を聞けば、映画好きならピンとくるだろう。『ウォーク・ザ・ライン』『フォードvsフェラーリ』など、実在の人物を深く掘り下げる手腕には定評がある。
ボブ・ディランの青春と決断
物語は1961年の冬、19歳のディランがたった10ドルを手にニューヨークへと降り立つところから始まる。ウディ・ガスリーやピート・シーガーといった偉大な先輩たちと出会い、フォークシーンでのし上がっていくディラン。しかし「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」として祭り上げられることに違和感を抱く。ついに彼は1965年7月25日、ニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキギターを手にする。この決断が、フォークシーンを大きく揺るがすことになる。
映画では、彼の感情表現が控えめだったという批判もあったが、そんなことはない。むしろ、歌や表情、目線の動きから伝わる微細な心の揺れが、この映画の最大の魅力だった。この時代のフォークシーンとの関係や、彼が影響を受けたミュージシャンなども巧みに描かれている。
フォークの歴史と日本のフォークシーン
ボブ・ディランの話をしていると、自然と日本のフォークシーンにも思いが向く。その筆頭が吉田拓郎だ。彼がデビューした頃、日本の音楽界はまだ作詞・作曲・歌唱が分業されていた。そんな中、吉田拓郎はシンガーソングライターとして台頭し、フォークの新時代を切り開いた。
『イメージの詩』は、ボブ・ディランの影響を感じられる曲であり、その歌い方もディラン的だ。さらに『結婚しようよ』は、フォークからポップへと移行する過程を象徴する楽曲とも言える。
フォークの特徴は、単なる音楽ではなく、社会と密接に結びついた文化だったことだ。60年代後半、反戦運動や学生運動とともに成長し、若者たちの声を代弁した。ピート・シーガーは「少しずつみんなで築き上げてきたものを、お前は大きなシャベルで掘り返すのか?」とディランに言ったが、まさにフォークからロックに転向したディランはこの時代から取り残されまいともがいていたのだろう。
音楽と時代の変遷
吉田拓郎の後、日本のフォークはインディーズ的なものとポップ寄りのお茶の間に受け入れられるような音楽の流れに分かれた。そして、80年代以降はユーミンの登場などもあり、徐々に政治色が薄れ、ポップミュージックへと変容していった。
まとめ
『名もなき者』は、単なる伝記映画ではなく、フォークミュージックの本質を描いた作品だった。そして、それは日本のフォークにも通じるものがある。ボブ・ディランの軌跡を追いながら、日本のフォークシーンを追いかけていた青春時代を思い出す。