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サマリー
あらすじ・解説
武則天(ぶそくてん)は、中国史上唯一の女性皇帝である。日本では「則天武后(そくてんぶこう)」という呼び名で知られているが、中国では「武則天」という名が一般的である。呂后(りょこう)や西太后(せいたいこう)と並び、「中国三大悪女」として語られることも多い。6世紀から7世紀にかけて、男性優位の社会で女性として初めて皇帝の座に就いたその存在は、4000年に及ぶ中国の歴史においても特異なものだ。武照(武則天の本名)は、幼い頃から高度な教育を受け、その類いまれな美貌と聡明さで注目され、唐の太宗の後宮に入り、宮廷内での地位を確立していった。太宗の崩御後、彼女は一度宮廷を離れて出家生活を送ったが、のちに太宗の第9子・高宗に見初められ、宮廷に復帰。皇后となると、病弱だった高宗に代わり、政治の実権を握るようになった。高宗の崩御後、武則天は皇太后として唐の実権を掌握するだけでなく、690年には唐王朝を一時的に廃して武周王朝を建国し、自ら「聖神皇帝」を称した。その治世においては画期的な改革を進める一方で、激しい粛清も行い、恐怖政治を展開したことでも知られている。今回は、そんな彼女が行っていたという恐ろしい刑罰の逸話をいくつか紹介しよう。 草の実堂 元記事→ https://kusanomido.com/study/history/chinese/tou/97332/
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