
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾七 山梨・上野原 「異界の民」が神輿を担ぐ
「ヤンキー」と「自宅警備員」の「百鬼夜行」!神社が結ぶ土着民と異界民の邂逅
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高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
- ヨガで「解脱」の鍵とされる蛇の女神が、軍荼利明王を経て、果ては剣の軍神へと
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
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ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第一弾は、市街地の北東、東京都、神奈川県との境近くの山中に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)。祭神は日本武尊で、その東征の帰り道、草薙の剣を神の宿る剣として祀ったとされるが、創建は平安中期で、社名から密教の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った、修験道の聖地であったことは明らかだ。明王とは、仏道に導き難い者を力ずくで帰依させる存在で、多くは憤怒の表情、逆立った髪、何本もの手に武器を持つという、恐ろしい姿を取る。そのルーツは、古代インドで鬼や悪魔に相当する夜叉や修羅だが、軍荼利明王の場合は、クンダリーニという蛇の女神が起源である。ヨガにおいては、性器と肛門の間にある、最も下部のチャクラに宿っており、クンダリーニを覚醒させ、脊髄を上昇させて、その途上にあるチャクラを開いていき、頭頂に至る事によって「解脱」できるとされている。それが伝播の過程で男性となったのが、現在の軍荼利明王である。しかし、そうした遠い起源は忘れられ、ここでは軍神として崇拝されている。明治の神仏分離により、明王とも切り離されたが、剣を奉納する信仰は続いている。神格の変遷と土着化する信仰というものについて考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾弐 「佐賀」発祥地 女神の祟りを鎮める賢い女達
- 巨石に宿る、荒ぶる女神の祟りを、土蜘蛛の「賢い」女達が鎮めた、「佐賀」の由来
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
佐賀市の北の郊外に鎮座する與止日女神社(よどひめじんじゃ)は、肥前一宮。嘉瀬川畔、肥前国府の近くに建ち、現存する五風土記の一書「肥前国風土記」にも登場する古社だ。風土記によれば、嘉瀬川の上流に荒ぶる神がおり、往来の人の半分を生かし、半分は殺していた。そこで領主が占いで神意を問うたところ、土蜘蛛(記紀や風土記に登場する、朝廷に反逆的な「まつろわぬ民」)の大山田女(おおやまだめ)と狭山田女(さやまだめ)が、埴輪のような土の人形・馬形を神に捧げれば、祟りは鎮まると告げた。その通りにしたら祟りが鎮まったので、領主は彼女達を「さかしい(=賢い)女」だと誉めた。それが「佐賀」という地名の由来だという。また風土記には、川上に石神がおり、毎年海の神たるワニ(サメまたはナマズとされる)と小魚たちが遡上して来るが、捕って食べると死ぬことがある、とも書かれている。そして、現代のこの地域を見てみると、土蜘蛛の女性達の名を残す「東山田」という地名があり、嘉瀬川上流には「肥前大和巨石パーク」と名付けられた古くから信仰される巨石群があり、ナマズを食べないという風習がある。人の往来が激しく、先進文化が押し寄せる、近代を開いた佐賀という地の特性を古代に見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾九 三重・斎宮 最高位の巫女 斎王の真実
- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
朝廷には、かつて「斎王」という制度があった。天皇の即位に伴い、その在位中、未婚の皇族女性が最高位の巫女として、伊勢の神宮に仕えるものである。起源は、朝廷黎明期、宮中より天照大神を遷し、皇女・倭姫命が遍歴の末に伊勢に祀ったという神宮の創建伝承にあるが、歴史的に確実に遡れるのは、天武天皇の治世である。最盛期は平安時代だが、平安後期には衰退し始め、後醍醐天皇の治世を最後に断絶した。斎王は、年数回の祭典の他は、神宮の十数キロ北西に居住し、その御所は斎宮と呼ばれた。遺構は現在の三重県明和町で発見されていて、非常に広大である。その核心たる斎王の御座所のあった内院は、現在、竹神社が鎮座するあたりにあった。当神社は神宮鎮座以前から当地にあった豪族の祖神を祀り、子孫は竹連といい、斎宮は「竹の都」とも呼ばれた。斎王は、当然ながら身を清浄に保つ事が重視されたが、かといって常に厳格な暮らしをしていた訳でもない。斎宮は文学サロンとして賑わっていたし、当時の文学作品にも登場する。「伊勢物語」に至っては、在原業平と斎王のスキャンダルが仄めかされている。腐敗した斎宮頭を「神託」を通じ糾弾したせん子女王のような斎王もおり、詳細に見れば見る程、現代的な「巫女」のイメージとは異なる存在である事が分かる。古代の朝廷における神道祭祀の核心を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
- 太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
兵庫県北部の豊岡市に、城下町・出石がある。出石藩主・仙石氏は、信州からの移封の際、そばを持ち込み、それが現在の名物・出石皿そばのルーツとなっている。桂小五郎が潜伏した住居や、新島八重の前夫・川崎尚之助の生家など、幕末の歴史に関わる史跡もある。そんな出石の街から外れたところに、但馬国一宮・出石神社が鎮座する。その祭神・天日槍命(アメノヒボコノミコト)は、古事記や日本書紀、播磨国風土記に神話が掲載されている。新羅にて、太陽光を女陰に受け、妊娠して赤い玉を産んだ女性がおり、新羅の王子である天日槍命がその赤玉を入手して、自邸に置いておいたところ、姫の姿になったので、これを妻とした。しかしある時、天日槍命と姫は喧嘩して、姫は祖国へ帰ってしまう。その祖国こそ、日本であった。姫は大阪あたりまで逃げ、天日槍命はこれを追うが追い切れず、結局但馬に土着したという。あるいは、天日槍命は出雲の大国主命と争い、播磨は大国主命、但馬は天日槍命が治めることになったという。また、その子孫からは、天皇の命で不老不死の果実を探し求めた田道間守(タジマモリ)が出ている。太陽光による懐妊、赤玉から生まれる姫、渡来する新羅王子といった、謎に満ちた神話の向こうに、古代における朝鮮と日本、父権社会と母権社会といったものの結節点を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾五 鳥取・八頭 白兎神話異伝と「習合」文化
- もう一つの「因幡の白兎」神話が伝わる八頭町は、今も昔も「習合」文化の町
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
鳥取県南東部の八頭町には、古事記の「因幡の白兎」神話とは異なる白兎神話が伝わっている。神代、近隣の霊石山に天照大神が降臨し、どこからともなく現れた白兎の導きで、仮宮にふさわしい場所に着いたというもの。白兎は気が付いたら姿を消していたが、実はこの白兎こそ、天照大神の弟・月読神の化身だった。そこで、八頭町の中心地である郡家(こおげ)周辺数村では、月読神を道祖白兎大明神と称し、氏神として崇めたという。郡家という地名の通り、古代には朝廷の郡衙(ぐんが)があった場所で、その遺跡や白鳳時代の廃寺跡も発見されている。このあたりには今も白兎神社が数社点在しているが、その総鎮守であった神社は、明治の神社合祀で近隣の神社に一度合祀されている。一方立派であった社殿は惜しまれ、近くの成田山青龍寺に引き取られた。そのため、本堂内に社殿を安置し、その中に本尊を祀るという、特異な寺院になっている。近隣には、寺院の境内に残っている白兎神社もあり、当地の白兎信仰は、神仏習合、分離、神社合祀などの影響を強く受けている事が分かる。町内には隼神社という神社もあるが、神社に由来する隼の地名と、隼という駅もあり、その駅は鉄道とバイクと「萌え」が混在する、現代における「習合」が現在進行形で見られる場所である。白兎神話の町に「習合」文化の精髄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ストーリー
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
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- 巨石に宿る、荒ぶる女神の祟りを、土蜘蛛の「賢い」女達が鎮めた、「佐賀」の由来
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- オリジナル版
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ストーリー
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- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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ストーリー
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- 著者: 高橋 御山人
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾参 青森・弘前 鉄の技術者 鬼神様
- 岩木山の麓に鎮まる神社で、神と崇められる鬼は、製鉄と土木の技術者だった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ストーリー
青森県弘前市、岩木山の麓に、鬼神社(きじんじゃ)なる神社が建つ。岩木山山頂奥宮に鎮まる大国主命の娘・高照姫神の霊験により、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、山麓に社を建てたという由緒を持つ。神社にも関わらず、弘前藩主・津軽氏の家紋と同じ卍を神紋とし、境内に横になった一対の石の魚があるなど、不思議に満ちた神社であるが、何と言っても最大の謎は「おにがみさま」と呼んで尊んでいることである。昔、旱魃で村人が苦しんでいる時、大人(おおひと)と呼ばれる鬼が、山を切り開いて用水路を作ってくれ、以来、その鬼を祀っているとされる。当地の地名・鬼沢もその伝説に由来し、当神社の扁額の一部で「鬼」の字に角がないのも、鬼を崇め祀っているが故という。社殿の屋根下には、鍬、鎌、鋤といった鉄製の農具が、数多く奉納されているが、鬼が使ったかのように、巨大である。本殿には、実際に鬼が使ったとされる、千年前の鍬形が御神体として祀られているという。さらには、出所は定かではないが、本殿の地下に、永遠に錆びない巨大な刀が納められており、こうした高度な技術の持ち主であることが、隠された鬼の真相という話もある。日本各地の伝承を見ても、鬼は鉄と強く結びついており、平地の民が、山岳に住む異様な産鉄民の姿に、鬼を見たと言われる。津軽の神社から、鬼の神髄に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾四 新潟・粟島 離島という「独立小国家」
- 様々な氏族が興亡し、役割分担をして来た粟島は、今も我が道を往く「小国家」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
新潟県北東、佐渡よりもさらに北の海に浮かぶ粟島。一島一村の粟島浦村に帰属し、独自に発電所も所有する。佐渡と同じく、西海岸は日本海の荒波に削られ、断崖絶壁の奇観を成し、初夏には岩ゆりで彩られる。歴史も古く、縄文遺跡が残り、万葉集には粟島を詠んだ歌が残っている。東海岸、島の中心集落・内浦の八所神社は、島の総鎮守と言えるが、その祭神は古代から天皇の守護神として宮中で祀られて来た「宮中八神」であり、歴史の古さの窺わせる。伝承によれば、最初に島に住んでいたのは蝦夷であった。9世紀初め頃には北部九州から松浦家がやって来て、内浦にて共存したという。やがて越前より本保家が渡って来ると、蝦夷と松浦家は西海岸に追いやられた。その後蝦夷は滅亡する。それから様々な変遷を経て、政治面を担う本保家、財政面を担う脇川家、学問面を担う神丸家と、各氏族が役割分担して島を統治して来た。このように、一つの島にあって、様々な氏族があるいは争い、あるいは共存して興亡する様は、一国の歴史を見るようでもある。本土と隔絶した自然が、こうした独自の歴史と文化を育んで来たのだ。常識をはるかに超越したゆるキャラ「泡姫ちゃん」など、現代の粟島にも、その独自性、独立性を見る事が出来る。離島というメインストリームに「まつろわぬ」存在を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾六 山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞
- 暗殺された親王の愛妾と子の悲劇、そこに世の無常を感じ土着した皇族と里人の弔い
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第二弾は、市の南西部、都留市との境にある、雛鶴峠の麓、旧秋山村の無生野(むしょうの)に鎮座する雛鶴神社(ひなづるじんじゃ)。後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王は、鎌倉幕府打倒の立役者の一人だが、父や足利尊氏と対立し、鎌倉で幽閉され、暗殺されてしまう。その愛妾・雛鶴姫は、親王の首を抱え、わずかな従者とともに鎌倉を脱出、逃れ逃れて、無生野へ辿り着いた。そこで皇子の子を産むも、母子ともに亡くなってしまう。その二十年後、護良親王の子・葛城宮綴連王(つづれおう)が、南北朝の戦乱を逃れてこの地にやって来るが、雛鶴姫とその子の話を聞き、不思議な因縁を感じてこの地に住み着き、73歳の天寿を全うしたという。護良親王、雛鶴姫とその子、綴連王を祀っているのが、雛鶴神社である。境内には、綴連王の墳墓もある。また綴連王は、父の護良親王、雛鶴姫とその子の菩提を弔う為、大念仏を始めた。これは今も続けられている踊り念仏の一種で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。甲斐に伝わる南朝悲話と伝統芸能を探求する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾六 大蛇VS大ムカデ 北関東のラグナロク
- 日光男体山の神と、赤城山の神が、大蛇と大ムカデに化身して戦った、戦場ヶ原の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
世界的な観光地・日光の一角を成す戦場ヶ原。標高約1400mの高原に広がるこの湿原は、名前の通り古戦場であるが、その戦いは人と人との戦いではなく、神々の戦いである。伝説によれば、この近くの中禅寺湖を巡って、日光男体山の神が大蛇に、赤城山の神が大ムカデに化けて戦ったが、自らの子孫である弓の名手・小野猿丸の加勢により、男体山の神が勝ったという。男体山を神体山とするのは二荒山神社で、山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、東照宮に隣接して本社が建っている。一方、県境を越えた群馬県の赤城山には赤城神社があり、山頂のカルデラ湖・大沼湖畔と、南麓の三夜沢に鎮座する。また北麓の老神温泉は、戦場ヶ原で敗れた赤城山の神が、湯で傷を癒し、男体山の神を追い払ったため、「追神」と呼んだという地名由来がある。ただし、当地の伝説によれば、赤城山の神が大蛇に、男体山の神が大ムカデに化けたとされる。そもそも赤城山では大蛇信仰が強く、赤城神社の祭神は、古代、赤城山の龍神に助けられ、その後を継いだ豪族の娘・赤城姫ともされる。一方、三夜沢の赤城神社には、藤原秀郷が植えたという「俵杉」があるが、秀郷には琵琶湖・竹生島の龍神の依頼で、三上山の大ムカデを退治したという伝説がある。北関東の「ラグナロク(北欧神話における神々の最終戦争)」の謎に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾八 高知・香南 烏の秘儀と「魔法の都」
- 全国で唯一残った「お烏喰神事」。呪術師が集う「魔法の都」。土佐の呪術の深層!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
高知県の香南市に、若一王子宮という神社が鎮座する。近郷八村の総鎮守で、鎌倉~南北朝時代に、紀州熊野より勧請されたと見られている。若一王子は、若王子ともいい、熊野三山で信仰される神の一柱。この神社で特筆すべきは「お烏喰神事」である。それは、海水で禊し、結界を張った神社に籠って球形の餅を作り、深夜、祈祷した後に本殿の屋根の上に供えるというもの。すると、熊野より二羽の烏が飛来し、餅を食べて行くといい、早朝、宮司がそれを知らせる。烏は、熊野の神の使いとされ、それは三本足の「八咫烏(やたがらす)」ともされている。この神事は、熊野三山の一つ・熊野速玉大社と、京都の若王子宮の三ヶ所で行われていたが、現在では高知の若一王子宮にしか残っていない。また、近隣の赤岡には、神主や巫女、僧侶、漂泊の芸能民、大工等が住んでいたことを示す地名が残っている。その中心には、土佐特有の呪術師「博士(はかしょ)」を統率する博士頭・芦田注連太夫の屋敷があり、摩利支天を祀り中臣祓を行うという、神仏習合の呪術を司っていた。土佐北東の山間・物部村に伝わる陰陽道の色彩が濃い民間呪術「いざなぎ流(百社巡礼其之七参照)」との関係も深い。時を超え、呪術の国・土佐の深層へと降りる旅。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾九 西宮から淡路へ 漂泊の傀儡のえびす鎮めの旅
- 淡路人形浄瑠璃のルーツは、西宮のえびす様を鎮める漂泊の民「傀儡」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
兵庫県の淡路島には、国の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃が伝わっていて、今も上演されている。その歴史は古く、五百年以上に及び、人形遣い達が住んだ三條集落には、彼らが崇めるえびす神の神社が建つ。諸国を巡る人形遣い達は、ここで巡業地の割り振りを決め、その安全と成功を祈った。そのルーツを遡ると、兵庫県本土の西宮神社に行き着く。伝承によれば、西宮に漂着し祀られたえびす神が、荒ぶり災厄をもたらしたので、その心を慰める為に行ったのが発祥とされる。日本には、古代から諸国を巡り人形芸を行う「傀儡(くぐつ)」という漂泊、放浪の民がいた。彼らは剣舞や奇術等、様々な芸能の他、狩猟などでも生計を立て、女性の場合は遊女を兼ねることもあった。公家や武家に庇護されることもあり、傀儡が歌った歌は、後白河法皇の「梁塵秘抄」にも記録されている。彼らは古くから西宮神社の周辺を本拠地とし、神社の雑役を行いつつ、諸国を巡って、えびす神の人形劇を行い、全国にえびす神と西宮神社の神徳を広めた。いつしか西宮から傀儡達は去ってしまったが、その業は、今も淡路人形浄瑠璃や、大阪の文楽に受け継がれている。伝統芸能の奥に潜む、神社と神道の深層を掘り下げる語らい。
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はいはいはいはいはいとはいが多すぎる
- 投稿者: Prima 日付: 2022/08/30
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾九 埼玉・滑川 宅地開発迫る月の輪殿の館跡
- 首都圏郊外・東武東上線「月の輪駅」 その由来を伝える神社と九条兼実の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ストーリー
東京から埼玉県北西部へ伸びる東武東上線。その比較的終点に近いあたりに、月の輪という不思議な名前の駅がある。当駅は埼玉県比企郡滑川町月の輪にあり、その地名の由来を伝える月輪神社が近くに鎮座する。社殿は一段高い場所に建っていて、その基壇になっている部分は、調査の結果古墳である事が分かっている。神社の創建は、白鳳時代に大宮・氷川大社を勧請したことにより、主祭神は氷川大社と同じスサノオノミコトである。その次に挙げられている祭神として、月輪兼実(つきのわかねざね)の名がある。これが地名と神社名で由来であるが、月輪兼実とは、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した公卿で、藤原氏五摂家の一つ九条家の始祖・九条兼実のことであり、出家後京・愛宕の月輪寺に隠棲したため、月輪殿という別名がある。当地には、その月輪兼実が一時居を構えていたという伝承があるのである。神社と道路を挟んだ位置にある天台宗月光山福正寺は、神仏習合時代には神社と一体のものだったと思われるが、その境内にある勢至堂には、兼実が常に尊崇していた勢至菩薩が祀られている。そこには狛犬の代わりに、勢至菩薩に仕える兎の像が置かれていて、兼実伝説の真偽は別としても、月の信仰が確かにあることが窺われる。首都圏の開発の波が押し寄せる、郊外の地名に秘められた、伝承の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾九 奈良・初瀬 「大和の出雲」に菅公鎮まる
- 古からの父祖ゆかりの地に菅原道真公が自ら鎮まり「コンテンツの聖地」となった初瀬
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
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ストーリー
奈良県桜井市、大神神社の神体山・三輪山の南麓の初瀬の地に、天武朝創建の古刹として名高い長谷寺がある。その参道西の山の中に、與喜天満神社が鎮座している。天満神社の名の通り、祭神は菅原道真公であるが、他の天満宮のように「怨霊鎮め」の為に建てられたのではない。長谷寺の鎮守・瀧蔵権現の勧めによって、自ら雷神としてこの地に鎮まったという。それは、当地の道真公の出自との深い関係による。長谷寺参詣の土産として古くから親しまれ、今も参道で売られている「出雲人形」という土人形があるが、それは近隣の出雲集落で作られている。大和にあって出雲という不思議な名を持つこの地は、古代、当麻蹴速との相撲の為に出雲より呼び寄せられ勝利した、野見宿禰ゆかりの地で、皇后の葬儀において、殉死に代わって埴輪を供える事を提案した話が、日本書紀にある。これが出雲人形の発祥とされ、野見宿禰の子孫は土師氏を称した。その後、土師氏の一部は、菅原氏を名乗る。道真公はその出身である。道真公は、父祖ゆかりの地に自ら鎮まったのである。なお、與喜天満神社は、中世、神前で連歌の行われる場所としても名高かった。歌人としても名を轟かせた道真公は、連歌の守護神でもあったのだ。更級日記では夢告を授かる場所としても描かれる初瀬。古の「コンテンツの聖地」巡礼記。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八 宮崎・鹿児島 まつろわぬ隼人「弥五郎どん」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
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ストーリー
九州南東部、宮崎県から鹿児島県にかけての地域、 宮崎県都城市山之口、同県日南市飫肥、鹿児島県曽於市岩川に鎮座する、 三社の八幡神社では、「弥五郎どん」の祭りが行われる。 面を付けた高さ数メートルの大きな人形「弥五郎どん」が練り歩く、 この祭礼には、古代にまで遡る由緒があった。 ○朝廷の勢力圏外であった南九州には、隼人と呼ばれる土着民が住んでいた ○奈良時代、反抗的な隼人も征伐され、完全に朝廷に服属する ○隼人征伐に神威を示したと言われるのが、八幡神社総本宮の宇佐神宮 ○宇佐の託宣により始まった「放生会」が、「弥五郎どん」の起源 南九州の「まつろわぬ民」の慰霊が「弥五郎どん」の祭りの目的であり、 それは同時に、南九州の民が「中央」とは異なる習俗を持っていたことと、 その独立独歩の気風を、今に伝えていくこととなった。 ●島津氏は関ヶ原の戦いで西軍に味方するも、中央突破して薩摩に戻った ●琉球を支配し、鎖国体制下でも独自に海外交易を行った ●長州とともに討幕の中心となり、明治維新を成し遂げた ●維新から程なくして、西南戦争により明治政府と戦った これら、近代に至るまで「まつろわぬ」気概を持ち続けた、 「薩摩隼人」のルーツの一つが、「弥五郎どん」ではないか。 荒ぶる桜島の噴火と降灰にも、その本質を垣間見る。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十三 岩手・北上 千年の鎮魂 「モテる」舞
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
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ストーリー
岩手県南部の都市、北上市。東北一の大河・北上川に沿う、 肥沃な盆地にあたるこの土地には、古くから蝦夷(えみし)が暮らしていた。 この豊かな土地を巡って、争いも繰り広げられる。 平安初期、蝦夷の指導者アテルイを、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、激戦の末に破る。 このとき坂上田村麻呂は、信濃の諏訪大明神を勧請し、当地に諏訪神社を建てたという。 平安中期には、岩手の豪族・安倍氏が、黒沢尻の柵を築いた。 黒沢尻は北上の地名として残り、北上駅近くに、柵跡も残っている。 前九年の役では、安倍氏の一族・正任(まさとう)が黒沢尻の柵を守るが、 命運尽きて安倍氏は源氏に滅ぼされる。 その後、諏訪大明神の神託によって、正任鎮魂のための舞が、神事として始められる。 それが今も北上周辺に広く伝わる民俗芸能・鬼剣舞(おにけんばい)であるという。 諏訪神社は、鬼剣舞を中心に様々な郷土芸能が演じられる、 「北上みちのく芸能まつり」の会場の一つでもあり、多くの見物客が詰めかける。 鬼剣舞は先祖供養の念仏踊りの一種であるが、鬼の面を付け、金色の長い髪を振り、 「反閇(へんばい)」という呪術的な歩行を行う、勇壮な踊りで、独自性に富む。 日本各地で様々な郷土芸能が危機に瀕している中、北上周辺では、鬼剣舞が、 年長者から若年者へ、各地域で熱心に継承されており、共同体の紐帯となっている。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾五 茨城・行方 有角蛇・夜刀神 物語に生きる魂
- 常陸国風土記の「まつろわぬ」角のある蛇・夜刀神 「物語化」によって魂を語り継ぐ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
霞ヶ浦と北浦に挟まれた、茨城県南部の行方市。古より行方郡と呼ばれ、常陸国風土記にも、沢山の物語が掲載されている地である。その一つに「夜刀神」の物語がある。継体天皇の時代、箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)が、谷あいの土地を開墾し田としようとしたところ、頭に角のある蛇「夜刀神(やとのかみ)」が沢山現れ、妨害した。そこで麻多智は夜刀神を打ち殺して追い払った。そして山と田との境界の堀に杖を立て、山を夜刀神の土地、田を人の土地とすることを宣言し、麻多智が子々孫々神として祭ることとした。さらに、孝徳天皇の時代、壬生連麿(みぶのむらじまろ)が、この谷の池に堤を築こうとした時には、池のほとりの椎の木の上に夜刀神が群がって登り、去ろうとしなかったので、壬生連麿が工事で使役していた人々に打ち殺すよう命ずると、逃げ隠れた。このような話が書かれている。麻多智が神を祭った場所は、行方市玉造の愛宕神社と言われており、その手前に湧く泉が、壬生連麿が堤を築こうとした「椎井の池」だという。謎多き夜刀神の伝承であるが、同じ風土記の行方郡の記事には、数多くの「まつろわぬ民」が登場し、彼らとの関係が窺われる。また、彼らを討つ日本武尊の記述も多いが、風土記では日本武尊を「天皇」としている。物語に託された古の人々の魂を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十二 茨城・日立 星を司る「最強」の まつろわぬ神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
茨城県日立市に鎮座する、大甕倭文(おおみかしずり)神社。 この神社の境内には、「宿魂石」という、山のような巨岩があるが、 神話に登場する星の神・天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)を、 倭文の神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が討ち、ここに封じたものだという。 天津甕星は、国譲りのあたり、天孫降臨に先立って様々な国津神を平定した場面に、 わずかに登場する神だが、出雲で国譲りを成し遂げ各地を平定した、 建御雷命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の祭神)と、 経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の祭神)にも従わず、 ついに建葉槌命によって討たれたのだという。 この神話は謎だらけだ。まず、天津甕星は国津神ではなく、 「高天原にいる悪神」だとされていること。つまり天津神なのだが、 天津神にして天照大神に従わない神が存在すること自体、神話上不合理だ。 せいぜいが暴虐を働いた須佐之男命くらいだが、それでも最終的には従っている。 建葉槌命も他に伝承のほとんどない神で、織物の神だが、武神・雷神の建御雷命や、 剣神・経津主命でも平定できなかった悪神を、なぜ織物の神が討伐できたのかも謎だ。 日本神話では、明確に星の神だと書かれているのが天津甕星のみという謎もある。 星の名を持つ神も、他に物部氏の神話にわずかに登場するのみ。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾七 山梨・上野原、小菅 忌部、諏訪、太子 深き山路の古伝
- 忌部、諏訪、聖徳太子……「辺境」における「中央」とつながる物語の意味とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第三弾は、市北部の棡原(ゆずりはら)集落に鎮座する鷲神社。特徴的な名前のこの神社の祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。この神は、古代の祭祀氏族、忌部氏の祖神である。忌部氏は四国の阿波に勢力を持ち、そこで神聖なる植物・麻を栽培し、その一部は黒潮に乗り、房総半島へ移住した(其之弐拾五阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」参照)。この神が祀られている棡原には、麻の栽培技術を持った忌部氏の一派が移住して来たのか。棡原は、甲州街道から小菅村へ至る道沿いにあるが、その小菅村にも、天日鷲命を祀る箭弓神社(やぎゅうじんじゃ)がある。そのすぐ隣に建つ諏訪神社は、全国に約九千ある諏訪神社の内でも、二十番台にあたる由緒ある神社という。棡原から小菅へ至る道の途上には、鎌倉時代に建てられた長作観音堂があり、国の重要文化財となっている。そこには、六代孝安天皇の皇女と聖徳太子の伝説もある。山深い棡原や小菅に、なぜこんなにもはるか太古の歴史と関わる信仰や伝承があるのか。「辺境」における「中央」とのつながりの意味を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾五 沖縄・与那国 犬と女に始まる最西端の歴史
- 犬と女の暮らしから始まり、怪力の女酋長が治めたという、日本最西端の「伝説の島」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
日本最西端、台湾まで約百キロ、沖縄県の与那国島。沖縄本島はもちろんのこと、八重山諸島の主島・石垣島からも遠く隔たった、正真正銘「絶海の孤島」である与那国島は、世界最大の蛾「ヨナグニサン」が生息し、「カイダー文字」という独自の象形文字も残る、自然も文化も極めて特異な土地である。中心集落・祖納(そない)に建つ十山神社(とおやまじんじゃ)は、沖縄特有の聖所・御嶽(うたき)が近代になって神社とされたものだが、与那国では、沖縄の他の地域と異なり、特に立入を禁止していないという。入口に鳥居はあるが、社殿は琉球建築であり、内部に香炉や「真天照」の文字が掲げられるなど、独特な様式である。この神社は、最西端の神社でもある(厳密には島のもっと西にも祠はあるが)。その祖納集落を見下ろす山の中腹にある岩窟「イヌガン」は、与那国の始祖たる女と犬が住んだ伝説がある。その奥にあるより大きな岩窟「ティンダハナタ」は、与那国の聖地であり、中世与那国の伝説的女酋長、サンアイ・イソバが住んだ場所と伝わる。彼女は巨体・怪力の持ち主で、霊力あるシャーマンでもあり、六つの乳房を持っていたともいう。与那国を支配下に置こうとやって来た琉球王朝軍を撃退したとも言われる。「ヤマト」とも「琉球」とも違う、日本最西端の島の独特な民俗を巡る旅の話。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾五 京都・粟田口 昔も今も刀剣に神宿る
- 能から女性向けゲームまで!伝統文化とサブカルチャーが交錯する日本刀の聖地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ストーリー
京の出入口「京の七口」の一つとして、古くから知られた粟田口。京都盆地東端のこの地は、古代、五代孝昭天皇の子孫・粟田氏が鉱物採取や粟、瓜の生産を行ったという。平安時代には、清和天皇の勅により、祇園の八坂神社の疫病鎮めの神・牛頭天皇を祀る社が建立された。八坂神社は感神院とも呼ばれた為、こちらは感神院新宮と呼ばれたが、これが現在の粟田神社である。鉱物資源に恵まれていた為か、粟田口近辺には、古より刀工が数多く住んでいた。その中でも代表的なのが、平安時代の三条小鍛冶宗近と、鎌倉時代の粟田口藤四郎吉光で、古代からの製鉄の神・天目一箇神とともに、境内の末社・鍛冶神社の祭神となっている。特に、三条小鍛冶宗近は伝説的な存在で、一条天皇の宝刀「小狐丸」は、稲荷明神が化身した童子が合槌を打って完成したといい、その稲荷の神は、粟田神社境内摂社の北向稲荷神社や、粟田神社と三条通を挟んだ向かいに建つ合槌稲荷神社に鎮まるという。この伝説は、謡曲「小鍛冶」の題材となっていて、能や神楽、歌舞伎等の伝統芸能を通じ広く知られて来たが、近年、名刀を美男子として擬人化した「刀剣乱舞」でも取り上げられ、若い女性にも三条小鍛冶宗近の名が知られるようになった。今も昔も、「刀剣に神が宿る」地、粟田。ここに伝統文化とサブカルチャーの交錯を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九 大和から土佐へ 一言主神の流竄と 呪術家賀茂氏
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 27 分
- 完全版
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ストーリー
高知市に鎮座する土佐一宮・土佐神社。祭神は一言主神・アジスキタヒコネノ神。 高知県南西部・黒潮町の沿岸の加茂神社より遷ったともいわれるが、 元々は、大和・葛城より、流刑されてここにたどり着いたのだという。 その話は古文献に載っているが、書物によって内容が大きく異なる。 ○続日本紀では、雄略天皇の怒りに触れ流刑に処せられる ○より古い日本書紀では、天皇と対等の立場で、ともに狩りを楽しむ ○最古の書物・古事記では、天皇が一言主神に畏れ畏まる ○続日本紀より新しい日本霊異記では、修験道の開祖・役小角に使役される 時を追うごとに著しく零落していく一言主神。 この話の舞台である葛城には、今も一言主神社と、 アジスキタヒコネノ神を祀る、全国加茂神社の総本社・高鴨神社が鎮座する。 そしてそこは、これらの神を崇める、古代豪族賀茂氏の根拠地だった。 ●役小角や安倍晴明の師・賀茂保憲など数々の陰陽師を輩出した呪術家の一族 ●全国に展開し「カモ(賀茂・加茂・鴨等)」の地名や神社を各地に残した ●高鴨神社より登った山裾には「高天原」と神武天皇に討たれた土蜘蛛の塚も ●一言主神社にも土蜘蛛の塚があり、能の題材となっている 流刑された神を祀り、歴史に名を残す呪術師を幾人も輩出し、 全国に広がって、「まつろわぬ民」土蜘蛛との深い関係も見出せる、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾参 岩手・江刺 まつろわぬ経清 斯く戦えり
- 朝廷を裏切り、蝦夷に味方した奥州藤原氏の祖・藤原経清 そこに武家文化の淵源を見る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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ストーリー
其之五拾九「岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄」でも取り上げた、岩手県奥州市。そこはアテルイから安倍氏、奥州藤原氏へ至る、古代東北史の舞台だ。北上川東岸の旧江刺市には、奥州藤原氏初代・清衡とその父・経清の居城であった豊田館跡や、経清と一族郎党の墳墓と伝わる五位塚がある。式内社・鎮岡神社(しずめがおかじんじゃ)も鎮座する。清衡は、豊田館跡の鎮守としてこの神社を尊崇、社殿の修造や荘園の寄付を行ったという。江戸時代には、中部・東北・北海道を旅した博物学者・菅江真澄も参拝し「畏しな荒ぶるとても幣取らば心鎮めの岡の神籬」という歌を残している。神社名にかけ自らの心を鎮める歌と解されるが、この神社が荒ぶる神を鎮めている事を、言外に仄めかしているようにも思われる。鎮岡神社は五位塚の麓に鎮座し、その地名も五位塚であって、それと無関係とは思われないからである。藤原経清は五位の官人でありながら朝廷に背き、蝦夷の末裔・安倍氏と共に前九年の役を戦って源氏に辛酸を舐めさせ、敗れた後、鋸挽きで処刑されたという。一方で、それが明言されないのは何故か。それは潔き武将を怨霊とせず貶めまいとする、敬意があるのではないか。勝敗や敵味方に関係なく、猛き者、智き者を尊ぶ、独特ながらも日本文化の主軸の一つとなった、高潔なる武家の精神文化の発祥を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾弐 新潟・上越 盲目の旅芸人「瞽女」の足跡
- 姿を消した盲目の旅芸人「瞽女」、上越に「忘れられた日本人」の幽き姿を求め歩く
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
新潟県の上越市高田は、かつて盲目の女旅芸人「瞽女(ごぜ)」の拠点であった。高田を拠点にした瞽女は「高田瞽女」と呼ばれ(もう一つの拠点は同じ新潟県の長岡)、北陸地方を中心に各地を巡り、三味線を弾きながら唄を歌った。瞽女は、遅くとも室町時代には存在しており、江戸時代には、高田や長岡では一つの場所に家を連ねて集まって暮らす「瞽女屋敷」が形成された。近代に入っても、瞽女の活動は盛んであったが、戦後は様々な大衆娯楽が世に溢れ、瞬く間に衰退し、「瞽女唄」自体は今も伝承されているものの、生業としては完全に消滅した。その為「瞽女の街」高田にも、その痕跡はほとんどない。が、同じ上越市の名立の山奥に、瞽女がよく参拝したという雁田神社がある。江戸時代、畑から偶然発見された陰陽石(男根と女陰の形の石)を祀ったもので、今も社殿の真後ろに数多くの陰陽石が祭られている。陰陽石に関係して、下半身の健康を司る神と考えられ、足腰の神ともなり、社殿内には硬貨で作られた足、腰の字が奉納されている。また、名立から山一つ越えた、糸魚川市能生町の山中には、かつて「瞽女宿」であった、島道鉱泉がある。厳しい戒律を持ち、呪力ある存在とも見なされた、漂泊の芸能者、瞽女。盛池雄峰思い出の地・高田にまつわる「忘れられた日本人」の姿を、高橋御山人とともに幻視する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾壱 宮崎・高千穂 天孫降臨の地にまつろわぬ影
- 天孫降臨や天岩戸など、聖なる神々の事績を伝える高千穂にちらつく、「魔」の影を追う
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
宮崎県北東部の山間にある高千穂は、神話伝承の地である。天照大神の孫・ニニギノミコトが天照大神の命を受け、地上の統治の為に高天原より降臨した場所が、この高千穂とされ、天孫降臨の地として知られる。それだけでなく、高千穂には様々な神話伝承地があり、その中でも有名なものが、天岩戸神社だ。この神社の御神体は渓流沿いの岩窟であるが、これこそ天照大神が隠れた岩戸だという。その他、岩戸隠れの際、八百万の神々が集まって相談したという天安河原や、高天原の水を移したという天真名井など、数々の伝承地があるのだが、高千穂には、こうした「聖なる神々」の伝承地だけでなく、荒ぶる「まつろわぬ」鬼たちの伝承もある。その代表的なものが、神武天皇の兄に討たれた鬼八(きはち)であり、夜神楽で有名な高千穂神社には、その討伐の様子が彫刻されている。また、日向国風土記逸文には、天孫ニニギノミコトの降臨時、地上は暗闇に覆われていたが、二人の土蜘蛛の助言で明るくなったという神話が載っている。ここでは天孫に協力しているが、土蜘蛛は、記紀・風土記で天皇に逆らう土着の勢力として描かれ、後世には人を食う妖怪とされている。「魔」の影ちらつく神話の舞台の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 阿波に眠る水の女神・アマテラス
- 五角形の祭壇を頂く古墳を拝む阿波一宮は、天照大神の葬儀を伝える
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
諸国において最も格式が高い神社とされる一宮だが、時代による変遷等の影響で、一国に複数存在する場合もある。阿波国には四社存在し、その一社、大麻比古神社は、当シリーズの第弐拾五社「阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる『大麻』」で紹介した。今回取り上げる八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)も、阿波一宮の一社である。当社は、徳島市西方の杉尾山に鎮座するが、麓には阿波史跡公園があり、縄文時代から中世にかけての巨大遺跡が存在する。徳島有数の古墳地帯で、「国府町」の地名の通り、阿波国府があった場所でもあり、古代、繁栄した地であった。社殿は、前方後円墳の前に立っており、その古墳は「奥の院」と称され、上にこの地域の特産「阿波の青石」で築かれた、五角形の祭壇が鎮座している。また、当社に伝わる古文書には、何と天照大神の葬儀の様子が事細かに記されている。これらを踏まえ、当社の古墳こそが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もある。さらに、折口信夫によれば、天照大神は三種に分かれるが、阿波ではその一つ、水の女神として信仰されているという。、すぐ近くに五角形の井戸を持つ「天乃真名井」があり、かつては社殿の瓦に龍の浮彫があったなど、水との関わりは深い。特異な「神の死」伝承の意味を考える。(カバー画像のイラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著者・長緒鬼無里氏による。同作品には高橋御山人の解
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾七 神々も逃げ帰る 能登の猿鬼のスペクタクル
- 一大スペクタクル! 能登の神々も逃げ帰る強大な猿鬼の伝説 アメノウズメの如き舞も
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
石川県、能登半島先端部に近い能登町の山中に、岩井戸神社が建つ。その境内には「猿鬼」が住んだという岩屋がある。猿鬼は、能登半島北部に伝わる鬼で、塚や戦場など、数多くの伝承地が残る。その伝説は壮大なものだ。数々の手下を率い、人々に危害を加える猿鬼を、輪島市三井・大幡神杉伊豆牟比咩神社(おおはたかむすぎいずむひめじんじゃ)の杉神姫が、人々の願いにより退治しようとするが、その力に屈し逃げ帰る。そこで神無月、出雲へ行って八百万の神々に相談したところ、能登一宮・気多大社を始め、能登の神々総出で退治することとなる。神々は武装して戦いに臨むが、容易に矢をかわし、掴み取り、漆で塗り固めた全身で弾き返して、剣をも折ってしまう猿鬼達の前に、またしても逃げ帰る。それから、杉神姫が海岸で啓示を受け、筒状の矢の中にもう一本細い毒矢を仕込むことにした。さらに、岩井戸の前で、白い布の下に武器を隠し、酒宴を開いて、天岩戸神話のアメノウズメノミコトさながらに杉神姫が舞い、相手を油断させ、ようやくにして討つことが出来たという。縄文時代の「ウッドサークル」が残る真脇遺跡があり、秋田の「ナマハゲ」と同じ来訪神の行事「アマメハギ」も伝わる能登町の、一大スペクタクルを考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人